2010年 04月 25日
愛犬カメラマンのための気まぐれ講座 5 |
デジタル一眼レフを手にしたばかりの愛犬カメラマンの撮った写真を見ると、そのほとんどが愛犬のアップの写真ばかりなのは羞恥の事実だ。
愛くるしいポートレイトはもとより、遊んでいる写真、走っている写真、寝ている写真、どれをとってもアップの写真が多い。
わたしもそうだったからよくわかる。寄りたくなるのだ。画面いっぱいに愛犬の顔を写し込みたくなるのだ。
しかし、いつでもアップで撮っていると、そのうち、なにかがおかしいと思いはじめる。家の中で撮った写真と外で撮った写真にあまり違いがないということがわかってくるからだ。
わたしの犬写真の師匠は、一時期「超広角」と呼ばれる焦点域の短い=広い風景を切り取れるレンズだけを使った写真を撮りまくっていた。なおかつ「写真は寄ってなんぼだ」と公言してはばからなかった。
だから、わたしも寄りまくった。寄って寄ってなお寄った。そのせいで、ワルテルはカメラのレンズが嫌いになってしまった。
中望遠域のレンズとは違い、超広角のレンズは寄って寄って寄り倒してもなお、メイン被写体となる愛犬の背景が写り込む。
寄りの写真=アップ写真に満腹した後で、わたしは引いてワルテルを撮るようになった。散歩している森や農地の全景を、浅間山の全景を、その中に溶け込んでいるワルテルを撮りはじめたのだ。
引いたはいいがろくな写真が撮れなかった。
アップはいい。ワルテルの生き生きとした表情を捉えていれば、構図なんてどうでもよかったからだ。画面が傾いていたって気にならない。
しかし、一旦引くと、カメラを水平に構えることからはじまって、美しい景色の中のどこにワルテルを配置すればいいのか、どこにポイントを置けばいいのか、すべてが霧の中だった。
どうしても格好良く撮れない。
わたしは空いている時間を使って師匠の写真を見まくった。凄いと思った写真を何度も何度も、それこそモニタに穴のあくほど見つめた。
バーニーズと暮らしている友人のカメラマンのブログを何度も何度も訪れた。
エリオット・アーウィットという写真家の犬の写真集を買い漁り、嫌になるほど目を通した。
知識を蓄え、凄いと思った写真の構図を真似て、何度も何度もシャッターを切った。
そしていつの頃からか、写真を撮るときに迷わなくなった。撮りたいと思う光景に出くわし、カメラを構える。そのコンマ数秒の間にイメージが頭に浮かぶのだ。そのイメージに沿うようにカメラをセッティングし、ワルテルやソーラを誘導する。あるいは、カメラを構えたまま、望む位置にワルテルたちがやってくるのをじっと待つ。
ある時、山猿コンすけがへたくそな引き写真をめったやたらにブログにアップしていたことがあった。見るにたえないような写真ばかりだ。昔のわたしの写真みたいだった(涙)。
しょうがないので山猿君にはこう言ってやった。
「馬鹿たれ。寄っても満足な写真撮れないのに引いてどうする。寄れ、寄って寄って寄り倒せ。寄るのに満腹してから引け、このあほんだらめ。それからな、いい写真をたくさん見れ。見まくれ。構図のノウハウを頭に蓄積するんだ。わかったか、おたんこなす!」
せっかくのわたしの優しいアドバイスだったのだが、山猿君は鳥頭でもあるので三日で忘れ、また、見るにたえない引き写真をアップしはじめた……。
さてさて、今日アップした2点の写真。同じ撮影位置から引きと寄りで撮ったものだ。わたしは上の写真が好きだ。下の寄った写真では、森の中を走っている、程度の情報しか入っていない。だが、引けば、そこがどんな森であるのか、どんな状況なのか、情報が満載である。
アップにしても引いても、ソーラが森の中を走っているという状況は変わらない。ならば、引く方が見る者に優しい写真だとわたしは思う。
もちろん、引いた写真の中に閉じ込める情報の取捨選択はとても大事なのだが、それはまた別の機会に。
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by walterb
| 2010-04-25 11:24
| 日常